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代表メッセージ

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代表取締役 岩下 悟朗

代表取締役岩下 悟朗

「掘っちゃうぞ」遊んでる感覚が原点

ーーホームページの代表メッセージが印象的です。よくある挨拶文ではなく、ご自身にしかないご経験が書かれてあって。

本当の話だよ、これ。小さい時に親父が工事終えて汚れて帰ってくるじゃん。やっぱ子供だから「どこで遊んできたんだ」って気になってて。そのなかで、後で親から聞いたんだけど、「俺も水道屋になろう」みたいなことを言ってたらしくて。実際は学生時代にやりたいことができたり、紆余曲折あって今に至るんだけど。でも原点はそこなんじゃないかなって。

ーー仕事をしながら「遊んでいる」という感覚は、今でもありますか?

今はもう現場に出ることも少なくなっちゃったけど、たまに現場で穴掘ったりする時は「掘っちゃうぞ!」って気持ちになるね。日々現場に出てる人たちは、大変な思いもしてるんじゃないかと思う。でもみんな、どこかで「掘っちゃうぞ」っていう気持ちを経験してるからこそ、なんかこう立ち返れるというか。結構そういう子も多いと思うんだよね。負けず嫌いな人も多いし。

ーー子どもの頃から、会社を継ごうと考えていたんですか?

高校卒業するくらいの頃から。うちの母親は「息子をどこどこの大学に入れて、アメフトやらせて、医者にしたい」っていう目標があったみたいんだけど、俺はもう中学時代にそこから外れちゃったから。(笑)まあ真面目に期待はしてなかったけど、せめて継いでもらいたいっていうのは多分思ってたんじゃないかな。自分は本当はアパレル系がやりたかったんですよ。DCブランドとか、そういうところで働きたいとか、洋服屋さんができたらいいなとか思ってた時期もあって。でもそのためには専門学校に行かなきゃいけないんだけど、高校卒業も危うくて。ギリギリ卒業できて、もう選択肢もないから継げるように進路を決めた感じです。

最初は「修行してこい」ということで、東京の水道屋さんに入社させてもらった。毎日4時半に起きて、お袋が毎日弁当を作ってくれていたりして。でも18歳で車の免許取りたてで夜中まで遊び回ってるわけだから、朝起きられないんだよね。親父に布団から引っ張り出されるんだけど、それでも「俺は布団から出ないわ」って思って(笑)、2か月くらいで辞めちゃって。しばらくフラフラしてたら、親父が見かねて「そんなフラフラしてるんだったらうちでちゃんと働け」ってことで、お盆明けぐらいから今の会社に入って。そこからは全部初めてだったから、本腰入れたのはその時が初めてだったかな。

ーーそこからもう、覚悟が決まったのですか?

うーん。でも、その頃は会社にも明確な理念がなくて。「じゃあ何年後にこうしよう」「うちの会社はこういう風にしよう」とか、そういうのは全くなかったと思うんだよね。時代の状況も良いから、日々の現場仕事をやっていれば売上が上がってて。うちでは育成も評価も明確じゃないけど、同世代の友達はサラリーマンで入った会社で社長に認められて役員になってたりするから、「なんか俺は認められてないのかな」とか思ってたね。

でも父親が参加していた地域の商工会に興味本位で行ってみると、同業の人たちはみんな忙しそうにしてて。そんな中で街のためとか、子供たちのためとか、お金にもならないことをみんなでやってるわけよ。でも、みんなその途中で仕事の電話が入って「すいません、会議中なんでまたかけ直します」みたいな。俺なんか電話かかってこないのよ、全然(笑)。そこでちょっとレベルの差を感じて、刺激を受けたんだよね。そういう風に「かっこいいな」と思う人がいたら自分もそういう風になりたいって思うようになるじゃん。一生懸命やるんだよね、仕事もやりながら商工会での活動も。そうすると、その頑張りを見てくれてる人はできるじゃん、先輩でも後輩でも。俺が困ってたりすると助けてくれたり、誰かが困ってたらみんなで助けてあげたりとか。そういう繋がりがどんどん大きくなっていくうちに、責任感も大きくなってきたのかな。そういう仲間っていうか、財産を守っていかないと、みたいな。

家族あってこその仕事

ーー会社を継ぐにあたってお父様の姿から学んだことはありますか?

子どもの時から社長やってる親父をずっと見てて、その時はやっぱりすごくかっこいいなって思ってた。言いづらいような厳しいことをストレートに言う姿を見て、すごいなって。夜遅くてもお客さんから急な連絡があったらためらいなく、担当したメンバーに「すぐ行ってこい」って言えたり。自分が同じ立場になってみると、そういうことってなかなかこう言えなかったりするじゃないですか。厳しいことも仕事のためには言わないといけない。でも、それが成り立ってたのは、やっぱり人としての優しさがあったからだろうね。

ーー何か覚えているエピソードはありますか?

正直、親父と仕事のことを話す機会ってほとんどなかったんだよね。実際、仕事のことを教えてくれたのは現場の先輩たちで。あえて自ら何か言い聞かせたりせず、現場に放り出して見て、自分なりにいろいろ考えて、失敗させたかったのかな。もしかしたら、それが一番の成長につながるって思ってたのかもしれない。もう亡くなってしまったから、本当のところはわからないけど。

でも12年くらい前、唯一しっかり会話したことがあって、俺が離婚する前に、事務所でたまたま2人になって、初めてまともに親子の会話をしたんだよ。「みんな大変なことを乗り越えてきてるんだ」って悟してくれて。うちの母親のことも「こういうところが最高なんだ」って。大人になってから、親として言ってくれたのはそれが最初で最後かな。

ーーその時間はどう今につながっていますか?

結局まあ、離婚しちゃったんだけど、別れてからもう寂しくて寂しくて。よく考えると、血の繋がりとか、家族ってものが本当に大事なんだなっていうのはすごくわかって。仕事も大事だけど、それは家庭があってこそだし、そこに還元するために仕事の仕方も考えないといけない。

俺らが20代・30代の時はさ、仲間とスキーに行こうとか、夜中まで遊んだりとかしてさ。プライベートが充実してたから仕事にも張りが出るというか。今の子たちは会社と家の往復だけになってるんじゃないかなってすごく感じてて。プライベートが楽しくなかったら仕事してても面白くないと思うんだよね。みんながこうやる気になってほしいな、そのやりがいのスイッチをどこで押すかみたいなのが、俺の中にはあって。

その気づきが「MEIO四箇条」だったり、「自分の現場を早くこなすだけじゃなくて、他の人に協力できないか考えよう」ってずっと伝えてることにつながってるのかもしれない。

次の代に渡す時に「何も教わらなかった」って思いをさせたくないわけじゃん。自分のやってきたことを早いうちから伝えたり、日々の行動もこうした方がいいんじゃないの、っていう話もする。そこはちゃんと形にしたいなとは思ってるんだけどね。

「大丈夫か、疲れてないか」声を掛け合えれば、チームは一つになる

ーー他のメンバーのお話を聞いていても、明央産業の真ん中には人とのつながりを大事にするがゆえに、自分の持ち場以外にも自然と目を向ける人が多いように感じます。

それはもう、ずっと伝え続けてきた。でもそれは、自分が大変な思いをしてる時に助けてもらったから言えるわけで。みんながそういう風に動けば、チームは一つになれるんだろうなってずっと伝え続けてきたことなんですよね。

ーーそんな想いが、実際に社員の方にも伝わってるなと感じますか?

それが、「社長が何を考えているかわからない」って言われちゃうこともあって。それはね、俺最近反省してるの。月1回の会議で挨拶する時には「先々こういう会社にしていきたいから協力してくれ」って自分の考えを話すこともあれば、「最近だらけてんじゃないか」って指摘する時もあるんだけど。でも結局、基本社長室にいることが多いじゃん。帰ってきてもお疲れ様って声はかけるんだけど、前を通り過ぎていくだけになってる。俺の考えてることがうまいこと届いてない可能性もあるなと思って。ちょっとした会話でも毎日できるような感じにしたいんだよね。俺自身、別に自分をよく見せようとかはあんまり気にしないんだけど。ただ、なんとなく自分はどう考えてるかっていうのは伝えたい。社員たちにも、仲間の心のサインに気づけるようになってほしい。そのためにも、顔をみてしゃべることが大事だと、自分が気づいたことは伝えていこうと思ってる。

ーー心のサイン、ですか。

「あれ、あいつちょっと元気ないな」って、ちゃんと顔を合わせればわかるんだよね。でも結局、意識的に見に行かないと気づけないわけで、だからそこは見に行く姿勢を出していかないと。それをみんなにもやってほしくて。社員同士で「大丈夫か、疲れてないか」って声を掛け合えるチームになれればいいなって思ってる。

うちには優しい社員がたくさんいるから期待する分、言い続けながら変化しないとその良さもなくなっちゃう。だからこそ新しい風が入ってきてくれるのを楽しみにしてるんだよね。